仕事盛りの(男盛り・女盛り)の朱夏。50歳~65歳前後の白秋。そして最期を迎えるまでの玄冬。
こんな意味の言葉が中国にあります。
しかし、“玄冬”がいかにも寂しいじゃあないですか。
そこで、このような解釈もあるようです。
玄冬を青春までの時期に充てるのです。つまり、人の基礎をつくる時期、それは決して華々しいものではなく地道に着実にコツコツとすごす。そして、その基礎を元に“青春”の季節を人は迎えるのです。
30代~50代を“朱夏”、それ以降を“白秋”とするのです。
“白秋”とは実りを待つ秋のように満足と充実の時とあります。
僕は最期の時までひとは“白秋”であってほしいなあって思います。
というわけで僕は2番目の解釈が好きです。まだ“朱夏”でいられるし・・・・・。
日本では春夏秋冬、春に始まり冬に終わるという感覚ですが、冬に始まり秋に終わるという解釈はヨーロッパでは違和感ないようです。グラズノフ作曲のバレエ音楽『四季』は冬に始まり秋でフィナーレを迎えます。
青春、朱夏(しゅか)、白秋、玄冬(げんとう)、とは、それぞれの季節を示すと共に、人生の時期についてもあてはめられています。
青春とは、青葉が繁るごとく、これから伸びてゆく若さを示し,朱夏とは、夏の真っ盛りの太陽のように、盛りを表し、白秋とは、実りを待つ秋のように、満足と充実の実感です。玄冬とは、静かにくれてゆく自分を見つめる時である、と言います。
これが一般的な解釈ですが。